NHKで放映中の朝ドラ「ばけばけ」。
見ていて、声を出して笑っちゃうシーンが何回も。
ヘブン先生が、Beerが飲みたいとヒロインのおトキちゃんにお願いするシーン。
英語がわからないおトキちゃんが考えつくして用意したのが、琵琶だったり、稗だったり、はたまた音が変化したのか、コマだったりと。
家に並べらたれそれらの品を見て、ヘブン先生はびっくり。
家に並べらたれそれらの品を見て、ヘブン先生はびっくり。
「No,no,Beer!」「びわぁー?」。
「No! Beer!!」「びぇぁー?」。
ヘブン先生の言う言葉を目をくりくりさせて繰り返すおトキちゃんに爆笑。
この二人、後に夫婦になる。
二人の会話は、たどたどしい。
ヘブン先生は日本語がわからず、おトキちゃんは英語がわからない。
「私、怪談、知ってる、たくさん」
「ネガイマス、ネガイマス! カイダン、ネガイマス」
このような会話のやりとり。
しかし、深い深いところで二人はわかりあえている。
ドラマとはいえ、そんな二人のやりとりを見ていてあることに気づく。
「ああ、わかりすぎなくてもいいんだな」と。
人の進化は言語能力の発達、言語の質と量の進化。
しかしなあ。
言葉が巧みで、たくさんの表現を駆使して、量が多いのってさー。
お互いの関係をかえって複雑にしていない?
こみいったものしていない?
言葉で本音をいい感じに隠してさー。
ウラ読み合戦の応酬にあけくれていない?
で、疲れちゃう。
ヘブン先生とおトキちゃんの間の言葉はものすごーく少ない。
それが前提だ。
だから、相手にちょっといらっとしたことがあっても、「それってどういうこと? わかるように説明してくれない?」にならない。
それよりも「まあ、いいか。」にならざるをえないのでは?
言葉は好きだ。
言葉は人と人をつなぐ道具の一つ。
しかし、言葉を何のために使うのか?
自分のため? 相手のため? それとも・・・?
朝ドラ「ばけばけ」。
本当の意味での人と人との関係というか、コミュケーションとは何か? を考えさせられる。
秀悦なドラマよ。



